さくらさん死去 落語家の夢も

 国民的人気漫画家・さくらももこさんの突然の訃報に、日本中に悲しみが広がった。さくらさんは中学生の頃から漫画を描き始め、紆余(うよ)曲折の末に少女漫画界に「エッセー漫画」というジャンルを持ち込んだ。亡くなる直前まで漫画を描き続けたさくらさん。【写真】ももこの同級生で一番の有名人 「小さい頃から漫画が大好きで、いつも漫画を描いていました」。さくらさんは2014年頃のインタビューで、そう振り返っていた。自身のエッセーなどによると、中学生の頃から少女漫画雑誌に投稿。当時描いていたのは正統派の恋愛漫画だったが、賞には縁がなかった。
 親にも反対され、漫画家は無理だと見切りをつけようとしていた高2のある日。学校で行われた作文のテストで95点の高得点を取った。教師からは「エッセー調の文体が高校生とは思えない」と大絶賛。批評欄には、少し引いた視点で構成するうまさが「現代の清少納言」と記された。うれしさから「エッセーを漫画にする」ことを思い立ち、直後に書いた投稿作が「りぼん」で初入賞。「ちびまる子ちゃん」の原型ができた。
 その頃、「落語家になる」という別の夢もあった。春風亭小朝の独演会が地元・静岡であった時、出待ち。入門を申し出ようと思った瞬間に小朝がスッと前を通り過ぎてしまい、タイミングを逃したという。エッセーや漫画に見られる独特の視点と語り口は、落語に影響を受けていたのかも知れない。
 高校卒業後の84年、静岡の短大在学中に漫画デビュー。86年に上京し、判例集などに関する書籍を発売する出版社に就職した。漫画を描きながらの生活が重なり、勤務中に居眠り。上司から「会社を取るか、漫画を取るか」と迫られて「漫画」を選択し、入社からわずか2か月で退社した。直後の同年8月に「ちびまる子ちゃん」連載開始。国民的漫画家のスタートを切った。
 漫画以外にも才能を発揮した。91年に出版した独特の語り口のエッセー集「もものかんづめ」はミリオンヒット。作詞を手がけた「ちびまる子ちゃん」のテーマ曲「踊るポンポコリン」はCD売り上げ164万枚を超える大ヒット。14年、さくらさんは「良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてもとても幸せな月日を送らせていただいています」とつづっていた。
 恥ずかしがり屋な一面もあり、テレビなどのメディアでインタビューを受けることは稀だった。「ちびまる子ちゃん」を放送していたフジテレビには、もし自身の顔の映像が必要な場合は、自画像イラストを代用するよう依頼。新聞などでも92年ごろまでは顔写真が掲載されていたが、その後はイラストになっていた。
 ◆さくらさんのその他の主な作品
 ▼漫画
「教えてやるんだ ありがたく思え!」(84年「りぼんオリジナル秋の号」デビュー作)
 「コジコジ(COJI―COJI)」(94年「きみとぼく」)
 ▼エッセーなど
 「もものかんづめ」(91年、集英社)
 「さるのこしかけ」(92年、集英社)
 「たいのおかしら」(93年、集英社)
 「あのころ」(96年、集英社)
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