浅利陽介「コード-」に救われ

 映画「劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―」(西浦正記監督)が先月27日に封切られ、興行収入100億円突破も視野に入る記録的ヒットを飛ばしている。フライトドクター5人の青春を描く作品も、2008年にフジテレビ系ドラマとして放送開始されて10年。コミカルな存在感で物語に彩りを与え続けている俳優・浅利陽介(30)は「『コード・ブルー』と出会っていなければ僕は俳優をやめていました」と断言する。【写真】「コード・ブルー」出演の新垣結衣
 もし「コード・ブルー」と出会っていなかったら、どんな俳優になっていたと思うか―。仮定の質問に対し、浅利は2秒も考えずに「やめてたんじゃないかと思います」と断言した。
 「なんか別の事をやった方がいいんじゃないかと思って友達の仕事を手伝ったり、乗馬をするので馬の世話をするのもいいかな、なんて考えて、なんとなーくフェードアウトして消えていったでしょうね」
 役者人生を救った作品は、俳優としての「骨」「芯」「核」だと語る。
 「例えば『浅利陽介さん死去』って記事が書かれる時が来たら、間違いなく『コード・ブルー』って挙げられる。100歳で死んだとしても。皆さんは『コード・ブルー』の僕を思い出してくれると思うんです」
 2008年。山下智久(33)、新垣結衣(30)、戸田恵梨香(29)、比嘉愛未(32)。同世代の先頭を走る4人とともに船出した作品は広く受け入れられ、高視聴率を記録した。10年、17年に新しいドラマシリーズとして受け継がれ、10年後の今、初めて映画化された。
 「ちょっとした社会現象と言えるような作品と関われてきたのは、ラッキ~って感じですよ。医師や看護師を目指す人が増えたと聞きますし、多くの人の心に残る作品になったんだと思います」
 放送開始当時は大学生。俳優として生きていけるかという惑いの中で受けた大きなオファーだった。
 「子役から脱皮しなきゃいけない時期だったんですけど、僕は攻めあぐねていた。でも突然、あの4人が横にいるんですからね。ポツンと入っちゃったな…という孤独感があって。芝居を見てくれて起用してくれたはずなんだから個性を出さなきゃというプレッシャーがありました。現場に居るのが嫌で嫌でしょうがなくて、早く帰りたいとずっと思っていた記憶しかないです」
 転機になったのは主演俳優が見せた優しさだった。当時、周囲を寄せつけないオーラを放っていた山Pが声を掛けてくれた。
 「車に乗せてくれて、一緒にキマグレンの歌を聴いただけなんですけどね。彼なりに考えてくれたんだなあと思って…今でも感謝しています。あの後、突破口を見つけて突き進むことができたような気がするんです」
 10年の月日は、4人をどのように変えたのだろう。
(source)

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